VARANASHI
はるかなるガンジー 3/20〜3/26


再開

Gと再開した 3月20日、正午にヴァラナシの駅で だけでよく会えたもんだ

ガンジーな一日

めずらしく朝早起きした 今日はガンジーに沐浴してみようとの計画だった もう板についた小汚いクルターを来て ガンジーに向かった 早朝だというのに沐浴する人がたくさんいた 俺達は、他の沐浴する人にならい河に入った 敬虔なヒンズー教徒たちが次々に沐浴していた イスラム教徒達は、わざわざ遠くから半生の貯蓄をはたいてこの河に沐浴しにくる ここを死に場所とする人もいる インドに来たんだという実感が沸いてきた 登る朝日を見ながら思う 俺はこのために来たのかもしれないな 河から上がり チャイを飲む この無茶苦茶な甘さがまたたまらない ふとガンジーを見返せば そこでは洗濯する人がいっぱい 洗濯は簡単なものだ 服を水で洗う 石に叩き付けて水をはらう あとは干すだけ パシパシ石に叩き付ける音がそこらじゅうでしている なんか壮観な景色だった ガンジーはごちゃまぜの河だった まず、飲み水 (ゲリの教訓でさすがに飲まなかったが) 排泄物も流される 洗濯もする 沐浴もする 昼はラッシーを飲む ちょっとハシーシ入りのやつ その時はなんでもなかったが、 宿にもどると頭がボーっとしてくる 夕方散歩する ガンジーのほとりで 死体が焼かれているのを見た 焼かれて、布につつまれて ガンジーに流される なんかあっけなかった 人間なんてこんなものなんだ・・・ 行き着くところはガンジー 夜、宿のテラスでガンジーを見ながら ボーっとする なんて平穏で無意味な一日 このままずーっとこんな暮らしでもいいのかもな なんて思えてくる

タブラ

日がな一日けっこう暇なので なにか楽器でもやることにした 先にヴァラナシに来ているGは シタールを習っていた 俺はじゃあタブラでもやってみるか タブラとはインドの太鼓で手のひら、指を使って叩く 叩き方により多彩な音が出せる怪しい楽器だ 習った先生は シンジ、バーバイバー(うまいぞ) しか言わない適当なインド人だったが、 タブラの腕はすごかった コンサートを見にいったが よくここまでの音が出せるなと驚いた 音、リズムに意味があり 何か物語のようなものを語っていたたしいが、 俺にはそこまではわからなかった 結局、タブラを買うことになるが 一番重い荷物だった 日本に帰っても練習しようと思っていたが、 結局インテリアで終わった

旅行者たち

ヴァラナシは有名な観光地なので 多くの外国人が滞在していた 住み着いて国に帰らない人もいた 日本人も多かった 同じ宿には日本人が多く泊まっていた なんとなく 「日本人」でまとまるのが嫌で たいした付き合いはしなかった 日がな一日、ボーとして 楽器弾いて ハシーシやって まったりと過ごす もし帰りの航空機を予約していなかったら 新学期が迫っていなかったら もう少し金が豊富だったら あるいは、俺もここに住み着いていたかもしれない

蚊or暑さ

インドは暑い 無茶苦茶暑い この暑さでは何もする気がなくなるほどだ さらにこの季節、蚊が多かった 苦労するのは寝るとき 当然安宿にクーラーなどあろうはずはない 網戸はあったが風もろくに入らない ドアを明けると大分すずしくなるが、 蚊が襲ってくる まあ、日本の寝苦しい夏と近いもんかな このことでGと喧嘩になった Gは、暑さもいやだが蚊はもっといやだ むしろ危険だ 伝染病を移されたらどうする、と言う 俺は 少々蚊に刺されても涼しい方がいい ということで 戸を開けて寝るか閉めて寝るかで えらいもめた 結局どうしたんだっけな まあ、一緒に行動してると大変なことも多かったな

人々

手足のない乞食を見た リキシャー乗りを乱暴に警棒で殴る警官を見た 道端で野クソをしているおやじをみた 花を売る少女を見た 尊大な大富豪を見た 好奇心旺盛な青年を見た 悪びれないガイドを見た いろんな人が住んでいる 貧困や差別や矛盾がある ある意味、日本の比ではない だけどみんな生きている みんな生きている

ホーリー

明日はカルカッタへ出発という日 偶然にもお祭りに出会った その名もホーリー 春の到来を祝う熱狂的なお祭り 色水(粉?)を相手かまわず駆け回る その日ばかりは、 金持ちも神聖な牛も 色水の餌食 7色の牛を見かけたときにはビックリした 外国人でもおかまいなし ガキどもに色水をかけられ 兄ちゃんたちには服を破られた ちょっと恐かったけど、めずらしいもん味わえましたわ

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